児島慎太郎「絵画の世界」
フランス
フランス留学中、現地で出会った若者たちとセーヌ川沿いを歩きながら、缶や石を蹴って遊び、さまざまな話をしました。
彼らは自分たちの国の未来や、社会はどうあるべきかということを、ごく自然に、そして真剣に語り合っていました。
その姿に触れたとき、私は日本について、自分の言葉で語るべき理想や信念を持っていないことに気づかされたのです。
今振り返れば、フランスには自由や平等を自らの歴史の中で築き上げてきた背景があります。
だからこそ、自分たちの国や社会に対する強い当事者意識が育まれているのだと感じました。
その経験は、私に「日本人である自分は、日本という国をもっと深く知るべきではないか」という問いを与えてくれました。
こうして帰国後、私は日本人のルーツを巡る旅へと歩み始めました。
中国編
日本文化の源流を求め、私は中国を旅しました。
北京にある紫禁城は、東京ドーム約15個分にも及ぶ広大な敷地を誇ります。また、日本の古都・京都は、中国の都・西安を手本として造られたといわれています。
私が特に惹かれた街は、「水の都」と称される杭州でした。そこに建つ雷峰塔を目にしたとき、日本の五重塔にも通じる美しさを感じ、日本文化が中国から大きな影響を受けてきたことを改めて実感しました。
その中でも、最も心を動かされたのが万里の長城です。果てしなく続く壮大な景色には、悠久の歴史と人々の営みが刻まれており、その雄大さに深いロマンを感じました。その感動を一つひとつなぞるような思いで、作品へと描き留めています。
振り返れば、この頃の私は目の前にある風景を忠実に描こうとしていました。
確かに、日本文化の源流は中国にあるのかもしれません。しかし私の中には、どこか満たされない思いが残っていました。
「何か大切なピースがまだ足りない。」
その感覚を抱えたまま、私は次の旅へと向かうことになります。
沖縄編
中国で旅を続ける中でも、私の心には「何かが足りない」という思いが残っていました。
その答えへと導いてくれたのが、沖縄の勝連城(かつれんぐすく)でした。
沖縄では城を「グスク」と呼びます。初めて勝連城を訪れたとき、「探していたものはこれだ」と直感したことを今でも覚えています。
私は探検が好きで、沖縄各地の森や滝、聖地を数多く訪ね歩きました。その中で、岩や滝に手を合わせ、静かに祈るおじぃやおばぁの姿を何度も目にしたのです。
最初は驚きました。ある日、その方に「何をされているのですか」と尋ねると、「ご先祖様に感謝を伝えているんだよ。」と穏やかに教えてくださいました。
その光景を見たとき、私の中に小さな違和感が生まれました。
同じ日本でありながら、どこか懐かしい。遠い昔の記憶を呼び覚まされるような、言葉では説明できない感覚でした。
それは「何かがおかしい」という違和感ではありません。むしろ、自分の内側に眠っていた記憶が静かに呼び覚まされるような、不思議な感覚だったのです。
私が伝えたいのは宗教の話ではありません。
人が命をつなぎ、ご先祖へ感謝し、自然とともに生きてきた「日々の営み」のことです。
私という命もまた、そうした幾世代もの営みの中で紡がれてきました。そのことを、沖縄で初めて実感しました。
時代の流れの中で、日本人の暮らしや価値観は、仏教の伝来や戦争など、さまざまな出来事を経て変化してきました。
その過程で、失われてしまったものもあったのではないか。沖縄で抱いたその違和感は、そのことを私に気づかせてくれたのです。
そうして生まれた作品が《ニライカナイ》です。
「ニライカナイ」とは、沖縄で海の彼方にある理想郷を意味する言葉です。
私にとってそれは、遠い祖先の記憶の中にある理想郷であり、自分自身の原風景でもありました。
この作品で初めて、自分の思想や感覚を絵画の中に込めることができたと感じています。
中国で抱き続けていた「欠けていたピース」は、沖縄でようやく一つにつながりました。こうして、日本人のルーツを巡る旅は一つの区切りを迎えたのです。
そして同時に、私の旅は外の世界から、自分自身の内面へと向かい始めました。
幼い頃から憧れていたパルテノン神殿。その記憶が、まるで導かれるように再び心によみがえります。
私の油絵の哲学はヨーロッパにあります。そして、その文明の源流はギリシャ・アテネです。
さまざまな思いが一つにつながり、私の旅は自然とギリシャへ向かっていったのです。
ギリシャ編
沖縄で自分自身の内面と向き合うようになった私は、その思索をさらに深めるため、ギリシャへ向かいました。
幼い頃から憧れていたパルテノン神殿。ヨーロッパ絵画の思想や哲学に魅了されてきた私にとって、その文明の源流であるアテネは、いつか必ず訪れたい場所でした。
実際にアテネを訪れて驚いたのは、何千年もの歴史を持つパルテノン神殿が、今もなお街の中心として人々の暮らしの中に息づいていたことです。その姿は、歴史が過去のものではなく、現代へと受け継がれていることを静かに物語っていました。
その後、私はエーゲ海に浮かぶサントリーニ島に魅了され、多くの作品を制作しました。
白い建物、青い海、降り注ぐ光、そして何気ない扉や路地までもが美しく、一つひとつが絵画になるような風景でした。
このギリシャシリーズは多くの方々にご評価いただき、作品は駐日ギリシャ大使館に収蔵されることとなりました。
ギリシャで学んだことは、風景の美しさだけではありません。
例えば、パルテノン神殿の柱は、一見すると完全な直線に見えますが、実際には人の目に自然に映るよう、わずかな膨らみや傾きが計算されています。
完璧な形を追い求めるのではなく、人の感覚に寄り添う美しさを追求する。その思想は二千年以上の時を経た今もなお、新鮮な驚きとして私の心に刻まれました。
一方で、ギリシャは幾度もの戦争や支配を経験しながら歩んできた国でもあります。パルテノン神殿もまた、長い歴史の中でさまざまな文化や時代を受け入れ、その姿を変えながら受け継がれてきました。
歴史を知るほど、その土地に積み重ねられた時間の重みを強く感じるようになりました。
しかし同時に、私は一つの問いを抱くようになります。
歴史を描くことは、ときに過去を掘り起こし続ける行為でもあるのではないか。
もちろん、それは尊い営みです。しかし私の心は、次第に「これから生まれていくもの」へと惹かれていきました。
歴史や文化がまだ形づくられている途中の土地には、未来へ向かうエネルギーがあるのではないか。
その思いが、新たな表現を求める私の背中を押しました。
そして次に向かったのが、北海道でした。
北海道編
ギリシャで歴史と向き合った私は、その視線を未来へ向けたいと思うようになりました。
その新たな旅先として選んだのが北海道です。
中でも、私の心を強く惹きつけたのが美瑛の風景でした。
どこまでも続くまっすぐな道は、思い悩んでいた私の心を静かに導いてくれるようでした。
それまで私は、麦畑や野菜畑にこれほど豊かな色彩があるとは考えたことがありませんでした。
光の移ろいとともに、畑の色彩は秒単位で表情を変えていきます。その変化に翻弄されながらも、私は必死にその一瞬を追いかけ、絵を描き続けました。
美瑛の自然は、それまで私が描いてきた沖縄やギリシャとはまったく異なる世界でした。
青を基調とした寒色の表現が多かった私に、美瑛は豊かな暖色の世界を教えてくれたのです。
そして生まれた作品が《道》でした。
それまで私は、歴史や文化がなければ絵を描くことはできないと思い込んでいました。しかし、美瑛の風景は、その思い込みを一瞬で覆してくれました。
人は誰もが迷い、立ち止まり、ときには進むべき道を見失います。それでも、自らが選んだ道を信じ、一歩ずつ歩み続けていく。その願いを、この作品に込めました。
《道》は、第79回山陽新聞賞において山陽新聞社賞を受賞しました。
北海道では、人々との何気ない会話の中で、「私は移住〇世なんです」という言葉をよく耳にしました。
私にとって、それはとても新鮮な響きでした。
北海道は、開拓によって築かれてきた土地です。広大な大地で営まれる農業も本州とは大きく異なり、その風景には、この土地ならではの力強さと未来へ向かうエネルギーが感じられました。
そして、どこまでも続くまっすぐな道は、不思議とアメリカの大地を思い起こさせました。
開拓者たちが未知の土地へ歩み続けたように、私もまた、未知の表現を求めて歩み続けたい。
そんな思いが芽生え始めた頃、私の心は自然と、アートの聖地ともいわれるサンフランシスコへと向かっていったのです。
アメリカ編
北海道で《道》という作品を描いた私は、その先にある新たな表現を求めて、アメリカ・サンフランシスコへ向かいました。
初めてこの街を訪れたとき、その美しさに心を奪われました。
街全体が、人に見せることを意識してデザインされているかのような景観。坂道に並ぶ色鮮やかな家々、高層ビルと歴史ある建物が共存する街並み。そのすべてが、多様な価値観を受け入れてきたこの街の個性を映し出していました。
サンフランシスコは、多様な文化や価値観を尊重する街として知られています。世界中から人々が集まり、それぞれの違いを認め合いながら暮らしている。その自由な空気は、私に大きな刺激を与えてくれました。
一方で、この街には強い光と深い影が共存しています。
シリコンバレーには世界を代表する企業が集まり、最先端の技術や文化が生まれ続けています。しかしその一方で、貧困やホームレスの問題も抱えており、繁華街のすぐ隣には厳しい現実が広がっていました。
理想と現実。豊かさと貧困。希望と不安。
その強烈なコントラストの中で、私は改めて「自分は何を描きたいのか」を問い続けていました。
そんな滞在中、アメリカのアートコンクールで作品が第1位を受賞するという、大きな出来事がありました。
異国の地で、自分の表現が認められたことは、大きな自信となりました。
それまで積み重ねてきた制作が、国境を越えて誰かの心に届いたことを、とても嬉しく感じました。
滞在中は毎日のように街を歩き、スケッチを重ね、その土地の空気や光、人々の営みを作品へと落とし込んでいきました。
そして、この滞在の終盤に完成した作品が《Frontier》です。
開拓者たちが未知の土地へ歩み続けたように、私もまた、未知の表現を求めて歩み続けたい。
その思いは、国や時代が変わっても変わることのない、人が前へ進もうとする意志そのものだと感じています。
私にとって「Frontier」とは、新しい土地ではなく、新しい自分へ踏み出すための一歩です。
これまでの旅で出会ってきた風景や人々、文化との出会いは、私の表現を少しずつ変え、新たな世界へと導いてくれました。
そして今もなお、その旅は続いています。
まだ名前のついていない風景を探して。
最後になりますが、人間にとって最も大事な事は直感を信じる事だと思います。
しかし人生を左右する様な本能的な直感はいつどこで訪れるか分からないのです。
僕にとってその最初の直感は、今回のテーマである沖縄での『違和感に気づく』事でした。
ですので皆さんの中にある小さな感覚に心をすまして感じとって欲しいのです。
そしてそれを信じ実行する勇気を持って下さい。
最初は小さな波紋かも知れませんが、それがいつか大きな波を起こすからです。
ご清聴ありがとうございました。